TAJYURO JYUNAIKI

制作日誌

映画界のレジェンド・中島貞夫監督、復活!

東映京都撮影所を中心に、数々の作品を生み出してきた中島貞夫監督。映画の撮影所システムが時代と共に変化し、1998年公開の『極道の妻たち 決着』以降は京都で後進の育成に尽力してきた。『木枯らし紋次郎』シリーズ、『まむしの兄弟』、『真田幸村の謀略』など64作品の劇映画を撮り続けてきた、まさに日本映画界のレジェンドとも言える中島監督の教え子には、『私の男』でモスクワ国際映画祭最優秀作品賞を受賞した熊切和嘉監督、『オーバー・フェンス』『万引き家族』などのカメラマンである近藤龍人などがおり、様々な現場で活躍している。そんな中島監督を動かしたのは「京都撮影所の伝統である“ちゃんばら”を次の世代に伝えたい」という熱い想いだった。

“ちゃんばら” の歴史は京都にあり、といっても過言ではない。最近のCGやワイヤーを使ったアクションではなく、役者の肉体の表現である“ちゃんばら”は、主役の剣をきちんと受ける斬られ役、カット割りやアングルで逃げない撮影を成し遂げるためのカメラマンや照明など現場スタッフの技術が欠かせない映画の伝統芸だ。例えば、カツラと額の境目である羽二重を消すのは結髪やメイクだけの仕事ではなく、照明の力も大きかった。羽二重の部分に絶妙な光を当てて不自然な線を隠すことができるスタッフは、今はもうほとんどいない。まさに職人芸ともいえるスタッフの技術、“ちゃんばら”でリアルな肉体表現ができる役者の技術を、教壇ではなく現場で伝えるために中島貞夫監督が再びメガホンをとったのが映画『多十郎殉愛記』なのだ。

「映画を愛し、中島貞夫を尊敬してくれる」キャスティング

20年、現場を離れていた中島貞夫監督を身近に感じている若い俳優はなかなかいない。そこで、キャスティングを一任されたプロデューサーが今回、最も重要視したのは「映画を愛している役者」、そして「レジェンド、中島監督を尊敬してくれる」ということだった。白羽の矢が立ったのは、映画への出演が多数あり、どの作品にも真摯な姿勢を崩さない高良健吾。すぐにすべての中島作品を鑑賞。そして自身初の“ちゃんばら”に挑戦するということで、撮影の合間を縫ってクランクインの2ヶ月前に京都に入り、毎日毎日稽古に励んだ。マンツーマンの稽古だけでは飽き足らずエキストラの稽古にも参加するほどの熱心さに、監督も感動を覚えたという。
ヒロインであるおとよは、過去に男に騙されているにも関わらず、またもや多十郎という根無し草のように生きる、いわゆる「ダメンズ」を愛してしまう女。しかし、芯の強さがあるからこそダメな男を愛し、最後には愛する男のために重大な決断ができる女性だ。また、監督からの「娘ではなく、大人の女性がいい」というリクエストから、印象的な目の強さをもつ多部未華子がキャスティングされた。おとよについては着物の色など、監督のこだわりが随所あるというが、特に顕著だったのは時代劇では見慣れない前髪。京都独特のスタイルで、当時の接客業や水商売の女性が好んだヘアスタイルだという。多部の目の強さを最大限に活かすために結髪によって提案され、監督が採用したという。多部の演技をより引き立てる髪型にも注目だ。

監督の熱い想いのために集まったスタッフたち

84歳という年齢にも関わらず、殺陣シーンの指導中に熱が入り、持っていた杖を剣に見立てて型を指導していたという中島監督。その「“ちゃんばら”を後世に伝えたい」という熱い想いに応えたのは、一番弟子である熊切和嘉を始め、現役時代に監督の元で育った撮影所の大勢のスタッフたちだった。特に、中島監督の現場を経験したことが無かった熊切は「師匠が映画を撮るのに、行かないわけには行かない!」と、自身の作品を調整して本作の監督補佐として参加。2018年3月下旬から約3週間、中島監督の実際の撮影現場を経験することで多くのことを学んだ熊切は「今後、時代劇を撮れると思う」と語っている。

多十郎殉愛記