命の目的がDNAを残すことであるならば、映画人の目的は映画のDNAを残すことにあるのかもしれない。
これは中島貞夫監督がチャンバラを残し、伝えようとした数か月の、数か月の美しい佇まいを描いた作品だ。
監督の想いを籠めた『多十郎殉愛記』が興行的にうまく行かなかった事実から目を背けない姿勢もドキュメンタリーとしての誠実さを感じさせる。
本作を見た人は、中島貞夫監督の次回作を待つ気持ちになるだろう
映画監督を志す者はこの作品を是非とも観てほしい。
愛しいもの、美しいもの、憎むべきもの、自らが見聞し、
思考した事象を映画として伝達する監督の仕事は簡単ではない。
中島貞夫監督の背中が問いかける。
お前は映画監督として生きていく覚悟があるのかと。
僕は喉元に刃を突きつけられたおもいだ。
日本の映画界の生きるレジェンドはエネルギーに満ち溢れ、ときに雄叫びを上げ、威勢の良い掛け声と共に嬉々として映画を撮る。映画みたいな映画人生に、ドキドキしました。
この映画のおかげで『多十郎殉愛記』がもっと大切な映画になりました。
映画にかかわることは、なぜこんなにも楽しくて、なぜこんなにも悔しいのでしょうか。
松原龍弥監督は『多十郎殉愛記』を作らんと力の限りをふりしぼる中島貞夫監督を、静かに追いつづける。京都の時代劇の伝統を残し、発展させようと七転八倒。「時代」という強敵を目の前に、芸術家・中島監督が体を張る。『遊撃』は「それでも作る」中島監督と、孤高な芸術家に共鳴する松原監督の、率直な記録である。
監督・中島貞夫が途方もなく魅力的な存在であるのは、言うまでもない。けれど本作の監督・松原龍弥は、そのことに甘えていない。被写体に対して常に適切な距離と角度を保持し、見せるべき瞬間を徹底して厳選する。それが中島監督とこの映画を、さらに魅力的に輝かせた。
私達の世界はいいなぁ!
前に行く者あり、後に続く者あり!
先に進む者良し、後を追う者良し!
この作品に拍手です!
ありがとう
ありがとうの世界に拍手です!
映画監督という生き方、その歴史と同時に現在地を映し出すドキュメンタリー。
中島監督は、一貫して映画ビジネスの中で、作家としては常に不満を抱えながら映画を撮り続けてきたように思う。しかし、それはこの巨匠だけに限らず、独りでアトリエに籠るわけにいかない映画作家は皆、その鬱屈をエネルギーにして時に大きな成功を収めてきた。中島先生として現代の凄い映画人から慕われ、慕う彼らもまたその鬱屈を継承するように格闘していくほかないのだ。衰退という絶望の中で希望を語る姿は、何も今に始まったことではなく、映画人としては自然体なのだと、僭越ながら勇気づけられている自分がいた。
「遊撃」の由来は中国の古語。毛沢東が抗日戦線を戦うために編み出した戦論でもある。大部隊で真っ向から立ち向かうな、部隊を分散して神出鬼没に夜駆け朝討ちをかけろ、と毛は言った。中島貞夫はこれを実践する。東映首脳陣と出たとこ勝負をし、融通無碍に企画を通し、「企業内抵抗」をしながらネチョネチョと京都で映画を撮り続けた。
映画『遊撃』は、『多十郎殉愛記』という最新のゲリラ戦を戦う中島貞夫と素晴らしき仲間たちのポートレイトだ。
彼ら全員の表情に、京都で生まれた映画は京都で作り続けなければならない、という不退転の決意がみなぎる。
そして中島貞夫の後姿には、最後まで生き残った者の孤高と哀しみが宿る。
ここには映画の未来への祈りがある。
映画を愛する人、中島貞夫監督を愛する人――。むせ返るような濃厚な愛に満ちた88分。ダンディにタバコをくゆらせつつ、時には杖を刀がわりにチャンバラの熱い演出をつける監督のバイタリティは、どうしたって人を惹きつける。
現場に現れると杖をついたままその場にすっくと立ち、じぃぃぃっとセットを見つめる中島監督。まるで剣豪のような眼差しに、場が水を打ったように静まり返る。数分間の沈黙の中で、監督の脳裏にショットが構築されていくー。その時間が堪らなく好きでした。私はそこに映画の真髄を見た気がしました。
冒頭20年ぶりの新作に取り掛かった中島貞夫が京都御所を歩いている。暁暗の日課。すでに自立している教え子たちが「まずは監督の意図を実現しよう」と集まりスタッフに入った。竹林の竹の青さから女優の指先の動きまで中島はすべてを決め、完成させ、公開後は観客の入りと戦う。終幕、中島貞夫はやはり黙々と暗い御所を歩いている。一生を表現に賭けて孤独が歩いている。その孤独に松原龍弥が寄り添い、みごとに添い遂げた!
「京都撮影所が作り出したチャンバラをなんとかしたい」。東映剣会の高齢化、時代劇の製作も少ない昨今を憂えた中島貞夫監督20年ぶりの新作「多十郎殉愛記」(19)のメイキング映像を基にしたドキュメンタリー。若いスタッフを自宅に招いて手料理を振る舞いながら「マキノの親父の演出はね」と昔話に笑い合う名匠83歳(当時)を主人公にして、映画屋の魂が次世代に継承されていく様がしかと焼き付けられている。
『暴動島根刑務所』を観て、映画って面白すぎるだろ・・・と瞳孔をギンギンに開かされた私、83歳のレジェンド監督がスケジュールと格闘しロケハンで孤独に粘り現場でもっと面白く!と模索し続け、完成後の観客の反応に一喜一憂する姿に、伝説が自分と同じ問題で悩んでいる・・・!と感涙。
京都の映画、京都のちゃんばらを次世代につなげたいと尽力する中島貞夫監督の姿を見ていると、会ったことのない監督のことがとても好きになり、京都のちゃんばらを守りたい気持ちに無性になる。映画のメーキングを数多く撮って来た松原龍弥監督だからこその撮影所の日常。一本桜のような潔い浪漫あふれる映画人達の顔がいい。
己れの人生の締めくくりに次の時代に咲く花の種を蒔く。中島貞夫にとって「多十郎殉愛記」はそんな作品なのだろう。同時に同じ時代を生きた仲間や東映に対する記念樹でもある。「これで満足」でもあろうがまだまだ元気、もう一本撮って欲しい。私を演出して欲しい。その時は「親類出演」というクレジットでお願いします。